何度通っても、ここは祈りの濃度がちがう。空気そのものが、人々の手向けてきた祈りで満たされている。その場に立っていると、自分の輪郭がゆっくりとほどけていくような感覚がある。
ある時、僕はブッダと同じ誕生日であることに気づいた。
たまたまといえばそれまでだけれど、この場所と自分とのあいだに、細い糸のような縁が通っているように感じられた。
だからこそ、ここで撮れた写真には、ほかの場所では出せない何かが宿っている気がしていた。
帰国してから、僕は同じものを撮ろうとした。
京都には、名の知れた社寺がいくつもある。
祈りの場としての歴史も、佇まいの美しさも申し分ない。
けれどカメラを構えても、あの周波数は写らなかった。
何度シャッターを切っても、僕が仏歯寺で受け取ったものは、そこにはなかった。
理屈ではなく、ただ「ここでは撮れない」と理解してしまった。途方に暮れた。
そんな日々のなかで、ふと手が止まった。
僕は長いあいだ、無農薬で野菜を育ててきた。四年前からは自然農に絞り、毎日畑に出ている。土に触れ、芽を見て、花を見て、種を見届ける。そのくり返しのなかで、いちばん愛おしいと感じてカメラを向けてきたのは、ほかでもない、この畑の野菜たちの姿だったのだと察した。
仏歯寺と、畑。
遠く離れた、まったく別の場所に思える。
けれど僕には、どちらも同じものに満ちていることがわかった。
愛の周波数だ。
深く手入れされた祈りの場と、毎日通う一枚の畑とは、僕のなかで地続きだった。
この『献花』というZINEは、その二つを一冊に重ねたものだ。
仏歯寺で受け取った祈りの写真と、いまの季節にニンジンが花をつけ、やがて種になっていく姿の写真を、組み合わせている。
ニンジンの花は、レースのように繊細で、しばらくすると静かに種へと姿を変える。咲くことが終わりではなく、種としていのちを手渡していく。
その移ろいを見ていると、これもまた一つの祈りであり、手向けなのだと思えてくる。
献花とは、花を供えること。けれど僕にとってそれは、いのちが次のいのちへとつながっていく、そのあわいに立ち会うことでもある。
聖地の祈りも、畑の一輪も、同じ周波数でつながっている――そのことを、この一冊で差し出したい。
これから何回かに分けて、写真をどう選んだのか、なぜこの構成にしたのか、造本に込めた思いを綴っていきます。
完成までの道のりに、少しお付き合いいただけたらうれしいです。



