何度通っても、ここは祈りの濃度がちがう。空気そのものが、人々の手向けてきた祈りで満たされている。その場に立っていると、自分の輪郭がゆっくりとほどけていくような感覚がある。
ある時、僕はブッダと同じ誕生日であることに気づいた。
たまたまといえばそれまでだけれど、この場所と自分とのあいだに、細い糸のような縁が通っているように感じられた。
だからこそ、ここで撮れた写真には、ほかの場所では出せない何かが宿っている気がしていた。
帰国してから、僕は同じものを撮ろうとした。
京都には、名の知れた社寺がいくつもある。
祈りの場としての歴史も、佇まいの美しさも申し分ない。
けれどカメラを構えても、あの周波数は写らなかった。
何度シャッターを切っても、僕が仏歯寺で受け取ったものは、そこにはなかった。
理屈ではなく、ただ「ここでは撮れない…



