第1章|有機と自然農は、何が違うのか
― そして、なぜあなたはまだ「本当の野菜」を知らないのか
私は、京都の宇治田原町で、兼業農家の長男として生まれた。当時はまだ、昔ながらの農が、あたりまえのように営まれていた。
三歳くらいの、夏だったと思う。母が、家の畑で採れたスイカを切って持ってきた。私と妹は、それを一口食べた。よほど美味しかったのだろう、私はむしゃぶりついて、赤い実の先の、白いヘタの部分までかじっていた――そう、あとから母に聞いた。
五歳くらいのときには、祖母に畑へ連れていってもらい、採れたての桃とトマトを、その場で食べさせてもらった。あの畑で口にした匂いと味は、六十を超えたいまも、忘れることができない。
私がいま、自然農で野菜をつくっているのは、突きつめれば、あの幼い日の一口に行き着く。私にとっての「本当の野菜」は、知識ではなく、体の奥に残った記憶なのだ。
そして、いまになって思う。あの味を知らないまま大人になる人が、あまりに多い、と。
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もし、あなたがこの記事を読もうと思ったなら、たぶん心のどこかでこう感じているはずだ。
「自分でも、野菜を育ててみたい」
その気持ちは、正しい。でも、その前に一つだけ、静かに受け取ってほしいことがある。
“おそらくあなたは、まだ「本当の野菜」を食べたことがない。”
責めているのではない。かつての私もそうだったし、いまの日本で暮らしていれば、それはむしろ自然なことだ。スーパーに並ぶ野菜は美しく、形が揃い、一年中手に入る。それを「野菜」だと思って、私たちは生きてきた。疑う理由なんて、どこにもなかった。
だからこの章では、いきなり育て方の話はしない。その前に、あなたがこれから育てようとしている野菜が、“スーパーのそれと何が違うのか”を分かってもらいたい。ここが分からないまま育て始めると、せっかく収穫した野菜を口にしても、その「違い」に気づけないまま終わってしまうからだ。
「無農薬」「有機」「自然農」は、全部同じではない
多くの人が、この三つをなんとなく「体に良さそうな、同じような野菜」だと思っている。かつての私もそうだった。でも、この三つはまったく別のものだ。
ごく簡単に、線を引いておく。
“無農薬栽培”は、文字どおり農薬を使わない、という“一つの約束”にすぎない。農薬を使わなければ、肥料は化学肥料でも、それは無農薬だ。だから「無農薬」という言葉だけでは、実はその野菜がどう育ったのか、ほとんど分からない。
“有機栽培(オーガニック)”は、そこから一歩進んで、化学的な農薬も化学肥料も使わず、有機質の肥料で育てる。堆肥や有機の肥料を“与えて”、野菜を大きく育てる考え方だ。体には優しい。けれど、根っこにある発想は、実は慣行農法(一般的な農業)とそう遠くない。“「人が養分を与えて、野菜を育てる」”という考え方は、同じなのだ。
そして“自然農”は、ここが決定的に違う。
自然農は、肥料を与えない。人が養分を“足す”のではなく、“土そのものが持っている力を引き出す”。落ち葉が朽ち、微生物が働き、虫や草も含めた一つの循環のなかで、野菜が自分の力で育っていく。人の仕事は、育てることではなく、その循環の“下地”を整えて、あとは邪魔をしないこと。
肥えた土は、最初から畑にあるわけではない。森を思い浮かべてほしい。誰も耕さず、誰も肥料をやらないのに、森の土は驚くほど豊かだ。落葉樹の葉が毎年積もり、朽ち、微生物がそれを分解し、長い時間をかけて土そのものが肥えていく。自然農の畑も、これと同じことをする。生えてきた草を刈り、畝の上に重ねていく。最初は痩せた土でも、年を重ねるごとに微生物が増え、少しずつ、土ができてくる。
肥料を“与える”のではない。土が自分で肥えていく、その循環の下地を整えるだけだ。すると不思議なことに、野菜は自分の力で、まっすぐ強く育つようになる。
つまり――
- 無農薬は「農薬を使わない」約束
- 有機は「化学ではないものを“与えて”育てる」
- 自然農は「与えず、土の力を“引き出す”」
言葉は似ているのに、野菜の育ち方も、その中身も、まるで違う。“あなたがこれからプランターで育てようとしているのは、この一番奥の“自然農”だ。”
「オーガニックだから安心」とは、限らない
ここで、多くの人が驚くことを一つ。“オーガニック(有機栽培)でも、実は使うことを認められた農薬がある。”病害虫の被害が深刻で、ほかに手立てがないときに限って、決められた資材の使用が許されている。もちろん化学合成農薬をふんだんに使う栽培とは違うし、有機栽培は立派な取り組みだ。ただ、「オーガニックと書いてあるから、完全に無農薬だ」と思い込むのは、少し違う――ということは、知っておいていい。
そして、私がもう一つ気にしているのは、““何を与えるか”のほうだ。”
有機栽培では、畝を耕し、堆肥を土に混ぜ込む作業を繰り返す。その堆肥に、牛糞や鶏糞といった家畜の糞を大量に使ったものがある。ここに、私は慎重でありたいと思っている。
なぜか。“問題は、その家畜が何を食べてきたか、だ。”餌に抗生物質やホルモン剤が使われていれば、それは糞のなかに、濃く残る。その糞で作った堆肥を土に入れれば、めぐりめぐって野菜に、そして食べる人の体に、まったく無関係ではいられない。だから私は、自分の畑に、家畜糞の堆肥を入れない。土に入れるものには、できるだけ慎重でいたい。これは私の、一つの選択だ。
面白いのは、その結果が、“味に出る”ことだ。
以前、私の育てたラディッシュやキクイモを食べた、ほかの農家の人が、こう聞いてきたことがある。「なんでこんなに苦味がないんだ。何を入れたら、こんなに美味しくなるんだ」と。
答えは、逆だった。“何も入れていないから”だ。
与えれば与えるほど、野菜は美味しくなる――多くの人がそう思っている。でも、私の畑で起きているのは、その反対のことだ。余計なものを与えないほうが、野菜はえぐみや苦味のない、澄んだ味になる。プロである農家さえ驚くこの違いは、理屈ではなく、舌が教えてくれる。
これこそ、「与えて育てる」有機と、「与えず引き出す」自然農の、いちばん分かりやすい違いかもしれない。
種のことを、誰も教えてくれなかった
もう一つ、ほとんどの人が知らないまま通り過ぎていくものがある。“種”だ。
野菜は種から始まる。当たり前のことなのに、私たちは「どんな種か」を考えたことがない。ホームセンターで苗を買い、種の袋を手に取るとき、そこに書かれた小さな文字を、たぶん誰も読んでいない。
種には、大きく二つある。
“F1種”は、異なる品種をかけ合わせて作られた、一代限りの種だ。生育が揃い、大きく、形が均一になる。だから流通に向いていて、いまスーパーに並ぶ野菜も、ホームセンターの苗も、その多くがこのF1だ。優れた技術だ。ただ――“その野菜から採れた種を蒔いても、同じ野菜は育たない。”いのちが、次へつながっていかない。一代で、終わる。
“固定種(在来種)”は、その土地で何世代も育てられ、種が受け継がれてきた野菜だ。形は不揃いで、育ちもバラバラ。効率は悪い。でも――“その野菜から種を採れば、また同じ野菜が育つ。”いのちが、来年へ、再来年へ、巡っていく。
数年前、私が農機具小屋の引き出しを整理していたときのことだ。中からは、いろんな種類の種が、袋に入れてしまわれたまま、たくさん出てきた。種には寿命がある。もちろん、そのほとんどは、とうに期限が切れていた。
それを見て、私は胸を打たれた。“昔の人は、こんなにも種を大切にしてきたのか”、と。使い切れないほどの種を、それでも捨てずに、引き出しの奥にしまっておく。それは、昔から農を営む人にとって、種が“来年へのいのち”そのものだったからだ。
なぜ、そこまで種を大切にするのか。理由がある。“種を継いでいくと、その野菜が、自分の畑の土に馴染んでくる”のだ。一年、また一年と種を採り、蒔きつづける。何年も続けてこそ、その土地に合った良い種になり、良い作物が育つようになる。こうして各地域に根ざしていったのが、在来種の種だ。
けれど、いつの頃からか、その在来種の種は、売り場からほとんど消えてしまった。いま並んでいるのは、その多くがF1種だ。この背景には、私たちの食や、もっと大きな“いのち”のことにまで関わる、深い話がある。それはいつか、稿を改めて、じっくり書きたい。
いまはただ、これだけ伝えておく。“あなたがこれから蒔く種を、できれば固定種から選んでほしい。”それは、あなたのプランターの小さな土に、少しずつ馴染んでいく。そしてもし種を採ることができれば、そのいのちは、来年へ、つながっていく。
自然農と固定種は、もともと一つのものだ。土の力を引き出し、いのちが巡る畑をつくるなら、種もまた、巡るものでなければ意味がないからだ。
“あなたがこれから蒔く種は、ただの種じゃない。来年へつながっていく、いのちの最初の一粒だ。”
なぜ、あなたは「違い」に気づけないのか
ここまで読んで、こう思ったかもしれない。「理屈は分かった。でも、実際そんなに違うの?」と。
正直に言う。“その違いは、写真を見ても分からない。人の話を聞いても分からない。食べ比べても、たぶん最初は分からない。”
なぜなら――私たちの多くは、比べるための“本当の味”を、そもそも知らないからだ。
味の記憶は、経験でしか作られない。スーパーの野菜しか食べてこなかった舌には、それが「野菜の味」の基準になっている。その基準しか持っていない人が、いきなり自然農の野菜を食べても、「うん、野菜だね」で終わってしまう。違うものを食べているのに、違いを感じ取る“ものさし”が、まだ体の中にないのだ。
これが、私がこの記事を書いている、一番の理由だ。
“言葉では、この違いは伝えられない。だから、あなた自身に育ててもらうしかない。”
自分の手で種を蒔き、土から育て、虫と向き合い、やっと採れた、たった一つの野菜。それを口にしたとき――そのときはじめて、誰に説明されなくても、あなたの体が分かってしまう。「ああ、これは違う」と。
その一口のために、これから一緒に、ベランダの土をつくっていく。
次の章では、いよいよ核心――“プランターの土作り”に入る。ここが、自然農の9割だ。ホームセンターで「野菜の土」を買ってくる、その一歩を踏み出す前に、読んでほしい。


