穴だらけの小松菜が今日は光り輝いて見えた。
小さな丸い穴が、葉の一枚一枚に、数えきれないほど開いている。光にかざすと、その穴から向こうの緑が透けて見える。
この小松菜の種を蒔いたのは、7月の中頃だった。そのころの畑には、まだ黒い虫はいなかった。
虫が出てきたのは、9月に入ってからだ。テントウムシよりずっと小さく、土の中から出てきて、葉をかじっていく。そのとき小松菜は、もう土にしっかり根を張って、大きく育っていた。
この小松菜には、肥料も、防虫ネットも使っていない。虫が来ても、追い払うものは何もなかった。
ふつうなら、ここで「やられた」と思うのかもしれない。スーパーに並べば、こんな葉を手に取る人はいないだろう。
でも、近くで見て、私は驚いた。
葉は厚く、ぴんと張っている。葉脈の一本一本にまで力がみなぎり、株は大きく、まっすぐ上へ伸びている。穴だらけなのに、少しも弱って見えない。
そして、株の中心からは、新しい葉が次々と出てくる。
“食べられても、まだ伸びる。”
虫は、この小松菜を最後まで食べ尽くすことはできなかった。
植物は、一度根を張ったら、その場所から一歩も動けない。虫が来ても、逃げることができない。だからこそ植物は、遺伝子のレベルで、自分を守るすべを備えている。食べられはじめると、それ以上食べられないように、自分の体を守る。人が教えたわけでも、手を貸したわけでもない。その力は、最初から野菜の中にある。
これが、自然の不思議なところだと思う。
自然農は、野菜を過保護に育てない。肥料で太らせることも、何から何まで守ってやることもしない。そのかわりに、固定種の野菜がもともと持っている力を、そのまま引き出す。この小松菜は、その姿を、穴だらけの葉で見せてくれた。
先日、「見た目で、内面は写るのか」という記事を書いた。この小松菜にカメラを向けながら、私はその問いを、もう一度考えていた。
穴だらけの葉は、見た目だけなら、傷ついている。けれどレンズの向こうに見えてきたのは、傷の奥にある、生きようとする力だった。
穴は、弱さの跡ではない。食べられながらも、育つことをやめなかった跡だ。
少なくとも、この小松菜の写真には、そう写っていると思う。
自然農を続けてきて、私は野菜から、たくさんのことを教わってきた。この小松菜も、その一つだ。
人も、同じなのかもしれない。
誰にでも、生まれたときから備わっている力がある。生きていれば、傷つくことは避けられない。けれど、穴だらけになっても、中心から新しい葉を出していける力が、もともと内側にある。
先回りして守りすぎれば、その力が出てくる場を奪ってしまう。手をかけすぎず、その人が本来持っている力を信じて、引き出す。野菜が育つことと、人が育つことは、どこか似ている。
この小松菜は、私にそう教えてくれた。



