そんな農法が、ここ数年で静かに、しかし確実に広がりを見せています。「自然栽培」と呼ばれるこの動きの源流をたどると、二人の人物に行き着きます。福岡正信氏と、川口由一氏です。今日は、この二人がなぜ「同じ場所」にたどり着いたのか、そしてなぜ今、彼らの思想が改めて求められているのかを書いてみたいと思います。
二つの源流、ひとつの思想
福岡正信氏(1913〜2008)は、愛媛県で「自然農法」を提唱した人物です。若くして農業試験場の技師として働いていましたが、あるとき「人間の知恵など自然の摂理の前では無力だ」という悟りに至り、不耕起・無肥料・無農薬・無除草という、四つの「無」を柱とする農法にたどり着きました。1975年に出版された著書『わら一本の革命』は世界数十カ国語に翻訳され、ベトナム戦争後のカウンターカルチャーの中で「自然に還る生き方」の象徴として受け止められました。この本は今も欧米の大学で環境学の教材として使われ、パーマカルチャー運動の思想的な源流のひとつに数えられています。
川口由一氏(1939〜2023)は、奈良県桜井市で「自然農」を実践した人物です。中学卒業後すぐに専業農家となり、化学肥料と農薬を使う農業に心身をすり減らした末、38歳のときに「耕さず、草や虫を敵とせず、農薬・肥料を用いない」自然農へと転換しました。以来、赤目自然農塾をはじめ全国各地で指導にあたり、多くの実践者を育てました。2023年に他界されましたが、その教えは各地の自然農塾で今も受け継がれています。
福岡氏の「自然農法」と川口氏の「自然農」は、名前も、生まれた場所も、辿った道筋も異なります。けれども行き着いた先はほとんど同じでした。人間が自然を管理するのではなく、自然の営みに委ねる。この共通点ゆえに、近年では両者の系譜を総称して「自然栽培」と呼ぶことが増えています。
なぜ今、静かに注目されているのか
一つ目の理由は、日本の農業が抱える構造的な弱さが、ここへきて表面化してきたことです。化学肥料の原料である尿素・リン酸・カリのほぼ全量を、日本は輸入に頼っています。尿素の国産比率はわずか3%程度、リン鉱石やカリ鉱石に至っては国内産出がゼロです。ウクライナ情勢や中国の輸出規制をきっかけに肥料価格が高騰したことで、輸入依存のリスクが誰の目にも明らかになりました。肥料も農薬も使わない自然栽培は、この依存構造そのものから抜け出す選択肢として、静かに見直されています。
二つ目は、土壌微生物や腸内細菌をめぐる科学的な知見の広がりです。化学肥料や農薬の使用が続いた結果、世界の土壌のおよそ3分の1が劣化しているという報告があります。土の中の微生物多様性が、養分循環や保水力、ひいては温暖化対策としての炭素固定にまで関わっていることが分かってきました。人の腸内環境への関心が高まっているのと同じように、土という「地球の腸内環境」への関心が高まっている、と言い換えてもいいかもしれません。
三つ目は、気候変動によって「レジリエンス農業」という発想が世界的に注目され始めたことです。異常気象に対して柔軟に持ちこたえられる農業とは何か、という問いの中核にあるのは「土」「多様性」「循環」の三つの要素であり、これは自然栽培が長年大切にしてきたものとほぼ重なります。特別な農法として扱われてきたものが、気候変動対応という文脈の中で、実は理にかなった選択肢だったと再評価されつつあるのです。
なぜ実践者が増えているのか
制度面での後押しも見逃せません。2025年には新規就農者の平均年齢が統計開始以来初めて低下し、全国27都府県で農業従事者の若返りが見られました。2026年度は新規就農支援の予算も拡充されています。都市生活のストレスから離れ、自分のペースで自然と関わりながら暮らしたいという人たちにとって、農業、とりわけ大きな設備投資を必要としない自然栽培は、参入のハードルが比較的低い選択肢になっています。
もう一つは、情報の届き方が変わったことです。福岡正信氏の思想は元々グローバルに広がっていましたが、書籍やドキュメンタリー、SNSを通じて、その考え方が改めて日本の若い世代にも届くようになりました。川口由一氏が育てた各地の自然農塾も、彼が亡くなった今も学びの場として機能し続けています。特定の誰かに教わらなくても、実践者どうしがゆるやかにつながり、知恵を分け合えるようになったことも、裾野が広がっている一因でしょう。
自然栽培が担うこれからの役割
自然栽培は、単なる一つの農法にとどまらない役割を持ち始めています。輸入資材に依存しない食料生産のあり方を示す選択肢として。気候変動に対して土地がしなやかに持ちこたえるための土台として。そして何より、人間が自然をどう扱うかという関係性そのものを問い直す生き方として。
福岡正信氏は「自然農法とは、結局のところ人間の思い上がりを手放すことだ」という趣旨のことを語っていました。耕す手を止め、草や虫を敵としないことは、農業の技術である以前に、自然に対する構えの問題なのだと思います。効率と管理を追い求めてきた戦後の農業のあり方に対して、二人の実践者が半世紀近くかけて示してきた答えが、今ようやく多くの人に届き始めているのかもしれません。



