そのことを考えているうちに、範囲は和歌だけに留まらないと分かってきた。俳句にも、水墨画にも、同じ美学が形を変えて流れている。三つとも入り口は違うのに、行き着く先は同じところにある。「全部を語らない」「全部を描かない」ということだ。
余情という一つの美学、三つの入り口
和歌(三十一文字)、俳句(十七音)、水墨画(墨と紙)は、それぞれ違う制約を持つ表現形式だが、どれも「限られた枠の中に、伝えたいものをどう収めるか」という問題に向き合っている。そして三つとも、答えは足し算ではなく引き算の方にあった。
和歌は**言葉**を削り、俳句は**音**をさらに切り詰め、水墨画は**線**そのものを省いて紙の白さに語らせる。感覚の入り口(聴覚的な言葉、視覚的な墨)は違っても、削った先に生まれる沈黙や空白が、見る人・読む人の想…


