今日、三つのことが決まった。タイトルと、テーマと、表紙。
前回、写真家としてはじめてのZINEを作る、と書いた。
決めたはいいものの、そこからしばらくは霧の中だった。
何百枚も並べては、これは違う、これも違うと消していく。
撮ることと、一冊にまとめることは、まったく別の作業だと思い知った。
撮るのは一瞬の話で、編むのは「何を捨てるか」をひたすら選ぶ話だ。
迷っていたのは、結局「この本は何の本なのか」が自分でも言えていなかったからだと思う。
手元には二つの被写体があった。
ひとつは、僕の畑のニンジン。
もうひとつは、スリランカ・仏歯寺で見た、人々の祈り。一見、何の関係もない。
「献花」という言葉
ある日ふいに、二つが同じ動作に見えた。
仏歯寺では、人は盛りの花を摘んで、仏前に置く。
やがて萎れると知りながら、捧げる。
美しさと、消えていくことが、その手のなかに同時にある。
僕の畑のニンジンは、食卓へは行かない。
つぼみが立ち、白い花を広げ、ふたたび蕾のようにすぼんで、種に還る。
僕はそれを収穫せず、ただ見届ける。
食べるためではなく、いのちへ返すための花。
——これも、ひとつの献花だ。
そう思った瞬間に、ばらばらだった写真が一本の線でつながった。
蓮も、ニンジンの花も、していることは同じだった。
愛おしさと無常を、一輪のうちに併せ持つこと。
タイトルは『献花』。
英語では Flower Offering。
言葉を探していたのではなく、ずっとそこにあった言葉に、ようやく追いついた感じがした。
テーマのこと
テーマは、うまく言葉にするのが少し怖い。
大げさに聞こえてしまうから。
それでも正直に書くと、僕がこの本で写したいのは「捧げる、というただひとつの所作」だ。
蓮を供える人の手。
花にしたニンジンを見守る僕の手。
そして、シャッターを押す指。
気づけば、シャッターを押す僕の指は、手を合わせる仕草に近づいていた。
撮ることは、僕にとって、小さな手向けなのだと思う。
その底に流れているものを、僕は愛と呼んでいる。
声高に言うことではなくて、写真の奥でそっと鳴っていてくれればいい。
そういう周波数の本にしたい。
表紙のこと
そして表紙。
これも今日、決まった。
選んだのは、収穫しなかったニンジンの花が、種へ還る途中の一枚だ。
咲ききった白い花は、乾きながら内側へ内側へと巻き込んで、小さな鳥の巣のような形になる。
その日は逆光で、巣が光に透けて発光していた。
レースのような繊維の一本一本に、夕方の光が乗っていた。
ファインダーを覗いて、これだ、と思った。
食卓へ行かなかった花。
役に立たなかった、と言う人もいるかもしれない花。
けれどそれは、いのちへ還っていく途中の、いちばん静かな姿だった。
この一枚に、本の全部が入っている気がした。
だから、表紙にした。
はじめての一冊
写真家として、はじめて「本」という物を作っている。
少し怖い。
一枚の写真をSNSに上げるのとは、重さが違う。
本は、誰かの手のなかに残る。
棚に置かれ、何年か後にふと開かれるかもしれない。
そういう物に、自分の見ているものを託すのは、思っていたよりずっと心細い作業だ。
でも、これは種を蒔くのに似ている、とも思う。
畑でいつもやっていることだ。
育つかどうかは分からない。
それでも、土に置く。
きっと『献花』も、そういう一冊になる。
次回は、本の中身の話を書きたい。
畑と寺の写真をどう交互に編んでいるか、真ん中の見開きに仕込んだ小さな仕掛けのこと、そして全部の写真を「ひとつの光」に揃える現像のこと。
よかったら、購読して続きを待っていてもらえたら嬉しい。
『献花』Vol.1、ゆっくり、確かに、進んでいます。



